ブラッド・ミュージック / グレッグ・ベア

こんなお話。

ブラッド・ミュージック  (ハヤカワ文庫SF)

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

「人類の存在そのものを脅かす」と、このあらすじには書かれているが、訳者による的を射た解説にあるように、この知性細胞は人類を侵略したいわけではないし、人類と共存したいと望んでいるわけではない。ただただ自分たちの知性なりの発展を望んでそれを実現させただけなのだ。別に人類を脅かしていたわけではなくて、人類が一方的に脅えていたわけだ。

降りるべき駅を通り過ぎてしまうくらい熱中してガーッと読んだのだけど、ちょいと物足りないのは、この細胞が知性を持つようになった過程が、ほとんど人間側からしか描かれていない点だ。
いきなりウラムの身体を作り替えたり(そもそもなんのために? それも書かれていない)しはじめるのだけど、その一歩手前段階、知性の芽生え段階の描写も、ほとんど無くていまいち物足りない。

人間にとっては知性とはイコール言葉、少なくとも言葉ベースで知性は発達するものだけど、この細胞にとっては知性とは「血の音楽」だ。言葉というものはむしろ曖昧で間接的でまだるっこしいものらしい。
そういった事情で、知性を得てからタイムラグがあって、この細胞たちは人体内部からウラムにたどたどしい言葉で「語りかけて」くるのだけど、そこの僕的には一番興味深い過程が意外にあっさり通り過ぎちゃってがっかり。

解説でもあんまり触れられていなくて、何回読んでもいまいち理解できなかった点がある。
世界とは、意識のある生物の観察によって成立しているものだから、人類がほぼ完全に知性細胞に侵食された北米では、知性細胞なりの観察によって世界が再構築され、物理法則に変化が生じているのではないか…みたいな話だ(この解釈がそもそも間違ってるかも)なにせ感覚的に解りづらい。全然詳しくないけど量子力学からの発想?
なんつうかこういう、まず人間ありきな発想、西洋人的感覚というかなんというか。西洋人にとっては感覚的に伝わるものなのかいな?

おもしろいにはおもしろいし、刺激的なのだけど、僕的に一番肝心な点がぼかされていたりで、どうにも釈然としないというかなんというか。
不思議な読後感の小説でありました。