フォーガットン(ネタバレ)

例によって、ぴあに載っているあらすじくらいしか読まないで見た映画。あらすじを読んだ時、サスペンスってジャンルになってるけど、たぶん実際にはかなりSFよりだろうなあと予想していて、その予想は当たりだった。
謎解き系のサスペンスを期待しているとおそらくガッカリします。SFとして見ても、序盤でアレが絡んできた時点で、基本的にはSFお約束のあのパターンだなと、お話の大枠が見えてきちゃうので、ちょっと物足りないかも。結局最後まで退屈せずに楽しんで見られたのだけど。

音楽がなかなかグッドで、特に序盤のテリーの不安と孤独を伝えるのにおおいに貢献していた。のはいいのだけど、全体として観ると、音楽を全体的にゲームBGMみたいにべったりと張り付け過ぎてしまっていて、印象が飽和している。おなかいっぱいって感じ。ゲームでは、進行がシーケンシャルとは限らないため、間を補完するために、BGMを比較的にベタっと使わざるを得ないのだろうけど、映画なんだから…。
もっと抜きどころでは抜いてよかったと思うんだが。よい映画音楽なのだけど、使われかたがイマイチでちょっともったいない。

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さてそろそろ以下ネタバレです。

  

序盤でNSAが絡んできた時点で、ははーん、国家の上層部と異世界生物が結託していて、なにか一般大衆のあずかりしらぬところでなにやら企んでおるのだな…と読めてしまう。
最初は、ある飛行機に乗った子供たちが、なにか見てはいけない物を目撃してしまったがために、子供の存在そのものを人々の記憶から削除している…という筋書きだと思っていた。

それが実は「母子の絆を断ち切れるか」という実験だったわけで、えっそんな程度の実験なの? と腰砕けしてしまった。とはいってももうちょっと考えてみれば、映画内では語られていないが、要は人々の記憶や社会的記録から、選択的に特定人物の記憶や記録を抹消しようというのが主眼の実験だったのだろう。
親子の絆という、異世界生物には理解しがたい概念の(?)関係が、もっとも人間の記憶として強固なものであると考え、特別に実験対象として選択したのだろう。そのあたりはもう少しほのめかしちゃってもいいような気がするんだが…。
そのわりには、アッシュの娘の記憶を隠蔽する手段として、アッシュの娘の書いた壁画の上に新しい壁紙を貼るという、超杜撰な方法を選んでしまうというところに不自然さを感じてしまう。

それにしても気になるのは、結局のところテリーだけは、全ての記憶を保持したままハッピーエンドにたどり着いたのだろうか? なぜテリーだけがそのような特別な能力をもっているのか? まあそれは語られなくてもよいのだけど、じゃあなぜそんな不都合な存在であるテリーを始末しようとしないのか? あのホープ刑事を空にすぽーーーーーんと引っ張り飛ばした、あの技を使って。なんだか不自然だなあ。
いつでも始末しようと思えばできるから、どうしても記憶を消せない特殊例の人類として、観察対象にしたってことかな? だとしたらうっすらでもいいから、それらしく匂わせてくれてもよいように思う。いまのままではアメリカ人好みの、親子の絆ばんざいハッピーエンドでしかなくなってしまっている。

それにしても「SFお約束パターン」と書いたはいいものの、具体的にタイトルを思い出せない自分が情けない。何編か読んだ記憶があるのは確かだけど…。ディックとか小松左京とかだったかな?