ミクロ・パーク / J・P・ホーガン

どういう経緯でかかれたのか知らないが、とても少年少女向けSF小説な印象。
わかりやすい勧善懲悪。わかりやすい伏線と解決。マイクロマシンの開発に協力し、自在に操る少年たち。賢く勇気はあるが経験の少ない少年たちはトラブルを通して成長してゆく。両親が安心してお子様に勧められる一冊。

ミクロ・パーク (創元SF文庫)

ミクロ・パーク (創元SF文庫)

もともとホーガンの小説には、ベタな少年マンガ的な印象をもっていたのだけど、今作では少年を主人公に据えたのが奏功したのか、少年マンガ的なおもしろさがいい方向に遺憾なく発揮されていて、ずんずんと楽しく読み進めてしまった。
なのだけど、その「お子様に読ませても安心」感が、物足りなさや底の浅さにも繋がってしまっている。

このSFのキーになっているのが、マイクロマシンと、直接神経接続(Direct Neural Coupling 略してDNC)技術だ。数cmのサイズの2足歩行ロボがあり、そのセンサーからの視覚・聴覚信号を、ディスプレイやスピーカーを使うことなく、直接に神経に接続して受け取り、動作させようとする意思を神経から拾い出し、マイクロマシンに送信し操作する…という、日本のロボアニメにはおなじみの設定だ。

このマイクロマシン+DNCテクノロジー、軍や諜報機関が飛びつくに違いない代物なんだけど、小説内では完璧にそのような方面からの接触の可能性は排除されている。
小説冒頭で、ライバル会社によって、まさしくマイクロマシンを使って暗殺が行われているのだが、そのライバル会社さえも、軍や諜報機関から資金提供を受けていたり、マイクロマシンテクノロジーを売り込んだりしているような設定が無い。単に対立する主人公達を亡き者にしようとしているだけ。このあたりの単純素朴な構造も、少年マンガっぽい。ていうかいまどきの少年マンガでも、こんなに単純素朴ではないんじゃないか。

現実に民間から、この小説で出てくるような、マイクロマシン+DNCテクノロジーが台頭してきたら、制作者側の意図はともかく、政府御禁制になってしまうだろう。盗聴、盗撮、暗殺が思いのままだし、悪用しようとすればいくらでも悪用できる。一般人がフリーに活用できるようになるとは、とても思えない。
あえてその点には目をつぶって、マイクロマシンで昆虫を退治したりなど、エンタテインメント方面にのみ注目しているところが、少年少女向け小説感を醸し出してしまう。

そんなわけで、リアリティの方面から読むには、物足りないSFなのだが、エンタテインメントと割り切るならば、ページをめくる手が止まらない小説なのだ。

悪用しようと思えばいくらでも悪用できる、このマイクロマシン+DNCテクノロジーなのだが、たしかにこの小説内で展開されているような、健康的な使用用途に限るならば、これはもう大変に魅力的だ。
センサーを直接に神経にコネクトしたマイクロマシンで、害虫を退治したり、空を飛んだり、スカイダイビングしたり、水中探索したり。いいよね。これはぜひともやってみたい。
とはいえ、ワイヤードならともかく、無線ではよほど基礎技術の飛躍的進歩が果たされなければ全く無理だろうな。
この小説内に登場するマイクロマシンのスペックと言ったら恐るべきものだ。数センチのマシンに入るバッテリーで数10分は駆動していて、2chの視覚・聴覚情報をレイテンシーが気にならないほどの高速でリアルタイムに圧縮して、数100m離れた地点まで無線通信できて…現代じゃ完全に夢物語だろう。

この文庫本が出たのはもう5年以上前で、存在もそのころから知っていたのだけど、ありえないほど表紙に登場しているロボがダサく、それでついつい読まずにいてしまった。60~70年代のセンスですよこれは。日本のロボアニメっぽいゴテゴテしたデザインになるのは絶対イヤだし、この小説に出てくるマイクロマシンの描写を映像にすると、確かにこんな形態にはなるんだけど、いくらなんでもこのデザインはありえないでしょう。この表紙でそうとう売り上げを落としているのではないか。