生誕百年 安井仲治展

渋谷区の松涛美術館での安井仲治展に行ってきた。神泉駅から場所が微妙に分かりづらいんだが、GPS携帯が大活躍しました。

やっぱり仲治は、まず画面の構成・造形ありきな人なのだなと再確認。
もちろん構成的な数々の名作がそう言う印象を強く持たせているのだけど、「流民ユダヤ」シリーズや「曲馬団」シリーズなど、語ろうとするならばいくらでも写真に語らせることができるであろう一群のモチーフでも、仲治の写真は被写体を「語る」挿絵的・説明的・報道的な視点にはあまり立とうとしていないようだ。
画面の中の情報量は他の構成的な作品同様に少なく、シンプルだ。もちろん写真が「語って」いるのだけど、構成や造形より「語り」が優先されることは無い。
メーデー」シリーズも自身の政治的な信条を語る方向にはいかない。貼り重ねられたポスターに代表される混沌や、群集のムーブメントに仲治の関心は優先しているようだ。

今ちょうど写真展が開催されているティルマンスの写真にも同様の印象を持つことが多い。
というか、今回の展覧会で(おそらく)はじめてみた仲治の「窓辺」シリーズの写真を見て、これ、カラーだったらほとんどティルマンスじゃん、という印象を受けた。
とはいってもえらそうに語るのは恥をかきそうなのでやめておこう。このティルマンスという写真家については、この展覧会に合わせて企画されたブルータス誌や美術手帖誌の特集を見たぐらいでしかないので。

照明が黄色すぎたり、意外に人が多くて(おばさま多し)集中が妨げられたりで、ちょっと残念だった。
この美術館、独特なこじんまりした感じと、吹き抜けの中庭とか螺旋階段とか、なかなかいい雰囲気のところでした。