中平卓馬の色(敷)面性

このロスコ展の暗い照明に参りながら、12歳のとき家にあった美術全集をパラパラめくっていて、ロスコの絵画を見たときの驚きを思い出していた。
そのときに収録されていたのは確かこれだった。

http://photos1.blogger.com/img/106/1563/1024/Mark%20Rothko%20-%20Centro%20Branco.jpg

身体の芯がむあーっと熱くなって、あーっ!という感じだった。あーっ!としか言いようが無いんだよね。今でもそうなんだけど。なんかもうちょっとこの、あーっ!を言語にできないものか。うぬーう。
その他の作品で今検索してヒットした、サイズでかめの画像いくつか。

http://home.comcast.net/~bill_rathbone/images/rothko.jpg
http://www.geocities.com/airsejin/min_n/077.JPG
http://images.art.com/images/PRODUCTS/large/10056000/10056277.jpg

ようやく本題なのだが、ロスコのこれらの↑作品を思い出して、その後に自分の頭の中でパッと連想されたのが、つい最近買った中平卓馬の写真集に収録された、「原点復帰−横浜」という写真群だった。

原点復帰-横浜

原点復帰-横浜

僕はこの写真家の作品は、この写真集と、古本屋で探して買ってきたアサヒカメラの2003/10号でしか見たことが無いのだが、近作はすべてがカラーの縦位置で、中望遠レンズを使用して適度にパースを圧縮して、なによりもフレームで何かを囲むということはめったに無く、フレームでなにかを切り取っている。開放も閉塞もせず、直球ど真ん中にスパッと切り抜いている。
その切り抜かれた画面の、ディティールをひとまず無視してみたところの、全体の形態と色彩との色(敷)面性が、ものすごい印象的だったのだ。
色(敷)面性ってのはいま僕が適当に作った言葉なんだけど、画面内で平面的な色の塊が敷きつめられてるさまを強調している、っていうような意味。なにかもうちょっといい言葉が無いものか。
マーク・ロスコを見て、その色(敷)面から、中平卓馬を直感で連想してしまったのだ。フレームで何かを囲むことをせず、切り取っていることによって、形と色で面を敷いている美しさが強く印象付けられる。
検索してみたところ、こちらのサイトが大きさも画質もセレクトもベストだったようだ。

http://www.shugoarts.com/jp/nakahira.html

こちらが写真集の公式。

http://www.osiris.co.jp/dzy.html

僕がこの写真家のことを知ったのは、↓この写真をなにかの雑誌を立ち読みしていて、しびれるような感動をしてしまったからだった。

http://www.shugoarts.com/photo/nakahira/w-na-02.jpg

筍がズン、と、世界の光と影を突き抜けるように、そこにすっくと立っていて、ただそれだけなのになんでこんなに美しいんだろう。直球ど真ん中だ。この写真の中の筍は、実際の筍よりも、重くもならず軽くもならず、ただ筍そのものとしてそこにある。作家の作為によって実際より重く見せたり軽く見せたりしていない。そんなストレートな写真なのに、もうあからさまに「表現」として僕は受け止めてしまうんだ。