Mac浦島太郎で昔話

訳あって、仕事ではOS9マシンをずっと使っていて、先日ようやくOSXに移行したのだが、ここ6年近くプライベートでは一切Macを使っていなかったので、すっかり浦島太郎状態になってしまった。
そこでOSXの基礎の基礎を覚えなきゃとMac雑誌を手にとってみたのだが、世間では、もうとっくにOSXは定着していて、OS9移行者向けの記事なんて皆無だ。

特にMacPower誌など、リニューアル以来、すっかりそういう実用情報から離れた雑誌になっていて、ぜんっぜん参考にならないのだが、その思いきりのよさには好き嫌いはさておき感心してしまった。
ホントに表紙に書いてあるように、「クリエイティブなライフスタイル」に憧れる、クリエーターセレブのお仲間になりたい予備軍の皆さん向けの雑誌になってしまっている。表紙の写真は毎号カッコいいのだが。
冨山学氏の気持ち良く理路整然とした、よく理解できないまでも面白かった記事が連載されていたのは、もうすっかり過去だ。

僕が最後に自分で買ったMacは7600/132で、PCコンパチビリティカードっていうのを入れていた。Windows95環境を、ソフトウェアのイミュレートではなく、PCIボード上にDOS/VのPC(たしかPentiumの90)一式を乗せることによって、Mac内を使えるようにする...という荒業カードだった。
DOSMacの共有パーティションをつくって、そこで手軽にデータのやり取りができるのが魅力だったのだ。

もともと、DOS版のレコンポーザ(懐語)とVision(&EZVision)との間で、データの共有を楽にしたいがために導入したのだが、なんかよくわからんがMIDIインタフェースをPC側が認識してくれなかったのだ。現代なら検索一発で対策などが調べられただろうが、当時はまだwwwでの情報が貧弱で、頼りにならなかったのだ。
しかし、Vzエディタ(とファイラ)Macで使えたのには大変重宝したのだった。

エディタで思い出したのだが、僕がWindowsに本格的に移行したのは、当時Macには自分で設定した予約語を、フォントの色を変えて表示するエディタがなかったからだったのだ。かなり記憶あいまいだが、HTMLとかCとかの予約語の色変えはできるエディタはMacでもあったんだが。
当時、独自形式のMML(これも懐語)をエディットしていたので、独自設定の予約語の色変えを切実に希望していたのだ。
Altでメニューがプルダウンできるし、2画面ファイラがあるしで、Windowsはマウス無しでかなり運用できるのが気に入って、どんどんMacは使わなくなっていってしまった。

ハイパーカード(これも懐語)をバンドルしなくなったのにめちゃくちゃ幻滅したことも、タイミング的にちょうどよく重なった、という要因もある。Quicktimeが出たころは、Mac、スゲーなぁと思って、わりと信者であったのだが...。

OSXに話を戻すが、いまだにMacには製品でもオンラインツールでも、2画面ファイラが無いっぽくて、たいへんガッカリしてしまった。Windowsがラベル機能をパクらないのと、Macに2画面ファイラがないというこの2点は、僕にとっては長年の謎なのだ。