暮らし / 空気公団

空気公団の「空風街LIVE」を先日聴き返していて、16曲目の「暮らし」を特に気に入ってしまった。この1曲だけをリピートで聴いてしまう。

空風街LIVE

空風街LIVE

「僕らはきっと意味を持つ」のところの、ギターのストロークが、なんともいえず良いのだ。
このギターは1拍ずつ、音の置き場所を探るかのように、微妙なタメを持って刻まれていく。そのタメ具合は、不安定な滑りやすい足場に気を留めながら、歩いていく様子を連想させる。
音楽がこれからも続いていくことを、心の片隅で疑っているかのような、不思議なギターの鳴らしっぷりなのだ。

そういえばこの曲のオリジナルは聴いたことが無かったな、と思い、「やさしい朝」というシングル盤を買ってきた。

やさしい朝

やさしい朝

オリジナルではこのパートは、ギターではなくピアノで、普通に確信を持って鳴らされている。あるべきところにあるべき音を鳴らすのは当然であるという確信のもとに演奏されている。
音楽的に、まとまっていて「正しい」のは、このオリジナル版のほうなのだが、ライブ盤でのこの不思議なニュアンスの演奏になんだか妙に惹かれてしまっているので、どうも物足りなく感じてしまう。

これに似た感覚、前にも聴いたことがあるなとは思っていたのだが、思い出せた。ダニエル・ジョンストンの"1990"の中の4曲目"Lord Give Me Hope"だった。

1990

1990

淡々と1拍ずつ鳴らされていくピアノが、ときおり指の置き場を忘れたかのような、微妙で不思議なタメを持つ。
フランジャーがかかっているのかと思うような、ものすごいフォルティシモの連発の直後なので、ますますその微妙感は強調される。