胡散臭い「完璧主義」

うーむ一週間が過ぎ去るのが異常に早い。相変わらず忙しい。やるべきことが山積みだ。

やるべきことの山積み状態の何が辛いかって、あとちょっと時間をかけてこだわれば、もっと良くなるのがわかりきっているっていうのに、山積み状態をこなすためには、一通りカッコがついたら、ハイ次、と優先順位に従って切り捨てていかなければならない。これは辛い。
辛いのだが、やりたいことをやれるのはやるべきことをやった人の特権、という、仕事人としての原則を捨てるわけにはいかないので、やるべきことをガーッとやっている毎日だ。
そこで思い出すのが、いわゆる「完璧主義」というやつだ。
ともすると、なんか美学っぽいものを感じそうな「完璧主義」という言葉なんだが、どうも胡散臭いしろものだ。
「完璧主義」の「完璧」をジャッジしているのは、「完璧主義」を標榜している本人ではないか。
これはたいへん胡散臭いですよ!
「完璧主義」の人が、さんざん時間をかけて「やった、これで完璧だ…思い残すことはもう無いな」と思っている内容が、他の人から見たら「なんだ、ここはこうやりゃもっと良くなるじゃん。なんでやんないの?」と思うっていうケースは、普通にありそうではないか。
「完璧主義」と、アウトプットのクオリティには、たいして相互関係も因果関係も無いのだ。
「完璧主義」を標榜している本人がどう自己満足していようが、ジャッジするのは先入観の無い第三者だ。
逆に言えば、自分の仕事を客観的に見ようとすればするほど「完璧主義」を標榜することの胡散臭さは明白になるというものではないか。
幸い、身近に「完璧主義」の人がいたことっていうのは、生まれてこの方なかったのだが、いたら大変うさんくさくうざったい存在だろうなあと思う。