サンキュー・スモーキング(バレ無し)

日本ではあまり見かけなそうな「話術で世間を煙に巻く」映画。主人公はタバコ業界のロビイストで、業界への批判を巧みな話術でかわすとのことで、弱嫌煙派の僕にはなかなか面白そうだと思ったのだ。公式サイトはこちらあらすじはこちら

ダレた部分がないのが好感が持てて、最後まで退屈せずに引き込まれて見てしまった。
だけど、この映画が一番の売りとしようとしている、話術の巧みさを味わうには、ちょっと物足りない気もする。
主人公が息子に解説している、論理のすり替えテクニック(たぶん基本技っぽい)で、相手の立場を落とすことによって、相対的に自分の主張を正しく見せる…というパターンが多いのだ。話術のバリエーションや、論理のパズル解きを味わう、という意味ではちょっと物足りない。

そんな中、ネタバレぎりぎりになるが、タバコ会社に訴訟を起こそうとする、元祖マルボロ・マンへの説得テクニックは面白かった。一見、捨て身のように見えるのだけど、マルボロ・マンの本心の隙間、実はお互いにとってメリットのある落としどころを上手く提案して、危機を逃れている。ここはかなり感心した。

「詭弁」と言うと、なんだか悪いイメージがあるのだけど、自分の主張を通したいだけで他人の主張を一切聞かない態度よりは、ぜんぜんマシであるなあ。と思う。少なくとも他人の主張はちゃんと理解して、その弱点を探ってはいるわけなので。

日本では高校くらいになっても、そういう論理的な思考の筋道の立て方って、学校では習わないと思うのだが、あんましよろしくないような。「綴り方教育」的な、文芸的に自己を表現することは奨励されていて、それ自体は悪いことじゃないんだけど、そればっかりじゃよろしくないよね。
社会人になっても、5W1Hの無いメールを書く人はけっこういるし、自分の主張のどの部分が他人にとってもメリットなのか説明できない人はけっこういるし、簡単なことをわざわざ難しく書くことで自分を賢そうに演出しようとする人はけっこういるし…。