真空ダイアグラム / スティーブン・バクスター

電車通勤というのが無くなってしまったので、本を読むスピードが一気に落ちてしまった…。これたしか、徳島に行くフェリーの中の時間つぶし用に9月末に買ったのだが、ようやく読み終えた。

真空ダイヤグラム―ジーリー・クロニクル〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

真空ダイヤグラム―ジーリー・クロニクル〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)

以前に読んだ「プランク・ゼロ」と同じく、バクスターの長編群、<ジーリー・クロニクル>に属する短編集。そして感想も同様に、短編になると一気に魅力が激減して、バクスターの粘着質という美質が伝わらなくなるなあとの思いを、よりいっそう強くしてしまった。
頭がくらくらするようなとんでもない発想の飛躍が、短編だとどうしても見られなくなってしまうので、ページを手繰る速度はどうしても鈍くなってしまう。

頭のネジが何本かすっとんでるんじゃないかって感じの発想を読ませてくれるバクスターなのだが、大風呂敷で広げた謎を、なんだかんだ言って拾い集めて補足説明してくれる、わりと親切さんであるのだなあと思った。なんとなく蛇足感がぬぐえないと言うか。
SFなんだから、謎が謎なままで突っ走っても、ちっともかまわないと思うのだけど。

そういうわけでなんだかちょっと不完全燃焼感があり、久しぶりに「天の筏」を読み返し始めた。

天の筏 (ハヤカワ文庫SF)

天の筏 (ハヤカワ文庫SF)

「SF」という言葉を聞いて、真っ先に僕が連想するのはこれなのだ。読み返すのは3度目なのだが、僕は記憶力がたいへん悪いので、いい感じに適度に忘れている。記憶力が悪いのも、悪いことばかりではない。

話はそれるのだが、ハードSF慣れしていないと思われる人の「トゥモロー・ワールド」評を読んでいたら、謎が謎のままであるのは許せないっぽい様子が伺えて、ちょっとカルチャーショックを感じてしまった。そういうものなのか。RPGをするとき、攻略本を使って、隅から隅までイベントを見なければ気がすまない・損をしたような気分になる、というのと似たような心理なのかな?