タイム・シップ / スティーブン・バクスター(バレなし)

おなじみウェルズの「タイム・マシン」の続編として、遺族の正式な許可を得て、あのバクスターが書いたもの。「おなじみ」とはいうものの、僕は小学生のときに、たぶん子供向けの簡略版を読んだだけで、ほぼ完璧に内容は忘れていた。

タイム・シップ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

タイム・シップ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

解説を読むと、「タイム・マシン」では、まだタイム・パラドックスの概念が導入されていなかったらしく、それにビックリしてしまった。日本人にとっては、ドラえもんで子供の頃からタイム・パラドックスに普通に馴染んでいるので、意外であった。

下巻の前半くらいまでは、そのタイム・パラドックスを現代的に解釈しなおして、バクスター特有のグロテスクな風味が加わった程度で、古き良きスタイルの冒険少年SFって感じだったのだが、下巻の後半からは、バクスターの「いつもの」あのとんでもない時間感覚を、これでもかと言わんばかりに味わえます。
力技で見事に自分のSFシリーズと融合させてしまったようだ。
でも「タイム・マシンの続編」という縛りがあることはいかんともしがたく、目から鱗が落ちる要素は少なく、あまり印象に残らないまま終わってしまった感じ。

とはいえ、僕は次元モノとか時間モノみたいな、抽象的な概念の把握を必要とするテーマをとても苦手としているので、それで印象に残りにくいだけなのかもしれない。
どうもイメージとして頭に浮かんでこない概念を理解するのって苦手すぎる。たぶん数学者にとっては、数式を見れば、イメージ段階を吹っ飛ばして、直接に概念を把握できるのだろうけど。
概念の把握にイメージを利用せざるを得ない以上、どうしても3次元な発想から逃れることができないのだ。

さて「いつもの」バクスターのSFと同じく、やはり自分の身体から精神(バクスター流に言えば「情報」)だけを分離されて、億年スケールで「生命」として生きる「人類」が出てくるわけなんだけど、何度想像してもゾッとしてしまうものだ。
そんな生命の主観時間は、我々のそれとはそもそもスケールが違うのであろうと言うことは想像はつくのだけど、それにしたってちょっと想像するだけで恐ろしい時間だ。
永遠の命というのがもしあったとして、そんなの欲しいと思う人がいると言うのがとても理解できない。不老ならわかるけど不死って、なんともグロテスクなシロモノだと思う。

そういえば最初に「子供向けの簡略版を読んだ」と書いたのだが、それは小学校の頃の図書室にあったものだ。当時はルパンとかシャーロック・ホームズとか(やはり子供向け簡略版)の方が好きで、SFはあまり読んでいなかった。そこで借りたのでいまでも記憶に残っているのは、アシモフの「鋼鉄都市」くらいだった。
これは後年、普通版で読んだとき、けっこうちゃんとあらすじを覚えていた。それに読んでいるときの印象とかも全く共通していた。おそらく、かなり上手く子供向けに簡略化されていたのだろう。