土合駅再訪〜小出

2005年の年末、あの豪雪の年に、ぜひ豪雪を味わってみようと、豪雪地帯を走ることで有名な只見線を乗りに行ったのだった。
当初の目的は、早戸駅で降りて、近くにある早戸温泉と沼沢湖に行こうと思っていたのだが、風景に魅かれて歩いているうちに道を間違えてしまい、結局のところ、その早戸温泉には行けずじまいだったのだ。
それはそれでなかなか面白かったのだが、やっぱりなんだか残念な気持ちが引っ掛かっていたので、今回に18きっぷを使ってリベンジすることにした。

只見線の始発駅、小出に向けて、高崎から上越線に乗って北上する。自宅から高崎までは、18きっぷで乗れる電車では湘南新宿ラインが一番早いのだけど、せっかくなのでもっと旅気分が味わえる、八高線で向かうことにする。

水上で25分の待ち合わせがあったので、途中下車して食事をとる。
駅前に「上州名物 おっきりこみうどん」などと書かれた店があったので、そこに入る。平日で昼時を微妙に外しているので、客は僕一人である。
その「おっきりこみうどん」を頼む。


ほうとうよりさらに太い平らな麺とけんちん汁、みたいな感じである。うどんというかすいとんっぽい食感。素材の味がよく出ていてうまい。
食べ終わった時、発車まで4分しかなかった。あわてて会計し、ギリギリ発車に間に合う。



時間に余裕はあるし、ただ小出に移動するだけでは芸がないので、以前にも行ったことがある、地下のホームから486段の階段を上って地上に出る、土合駅に再訪することにした。
前回来た時は、バイクでのツーリングのついでということもあって、あまり長い時間いられなかったのだ。なにせ谷川岳の登山口になっている駅なので、積雪に大いに期待したい。前回来たときは真夏だったし。

 

これがその、延々真っすぐ昇って行く、486階段である。画像はクリックすると大きなものが開きます。
前回は沼田駅までバイクで来て、そこのコインロッカーに荷物を置いていたので身軽だったのだが、今回は8kgの荷物を背負っているので、ちょっと大変かもしれない。
と思ったのだが、たしかに前回よりはちょっと疲れたが、意外にどうってことはなく、今回は途中で写真を撮りながら、8分ほどかかった。
階段の途中に、一休み用のベンチなどが置いてあったりします。

 

階段を登りきったあとも、まだまだ改札口まで距離はある。東京駅の京葉線ほどじゃないと思うが。

 

 

  



駅の外に出ると、けっこう風が強くて、火照った体が一気に冷える。次の下り列車は2時間39分後である。

 

 

積雪は膝の高さより低いくらいで、ガッカリであった。
この道路の上を渡っている通路は、地下ホームから地上へあがったのち、改札口へと向かったときに通ったところである。
天気はきれいに晴れ渡っていて気分がよい。谷川岳ロープウェイ方面に昇って行く。

 

 

  

谷川岳ロープウェイに乗るのもいいかも、とも計画当初は思っていたのだが、2時間39分の待ち時間だと、ギリギリ間に合わないような予感がするので、今回は残念ながらパスすることにした。

写真を撮りつつ40分ほど登り、谷川岳ロープウェイの駐車場に来た辺りで、そろそろ駅へと引き返すことにする。
駅に近づいたところで、電車のガタゴト音が遠く聞こえて来た。一瞬焦ったが、地上を走る列車ということは、上り列車である。地下ホームは下り列車のみで、上り列車は地上なのだ。急いで鉄橋に駆け寄って撮影する。




まだ発車より1時間ほどあるので、駅を通り過ぎた先にあるドライブインに寄って見たのだが、平日は営業していないようだった。駐車場に除雪した雪が積まれている。

 

その脇を通り過ぎると、どうもこの雪山はかまくらになっているようだった。さっそく中に入ってみる。

 

中にはベンチも置いてあるのだが、天井からポタポタと水滴が落ちてくる。ちょっとこれは長時間はいられない。



そろそろ駅に戻る。登っている時は暖かかったのだが、下りだとすっかり体が冷え込んでしまった。駅ノートがあったので開いて見ると、今日の日付で、なかなかファンキーな書き込みがなされていたのだが、これは僕が書いたものではありません。

 

この階段を「(とうとう土合駅に来れて感激したので)もう一往復してきます」などと書いている人もいて、酔狂さには多少自覚がある僕でさえも、この限りなき情熱には驚いてしまった。

そろそろ下り電車がくる時間だ。486段を降りて電車を向かえる。

 

あとは寄り道せず小出に向かう。電車の中から、夕日に照らされる山々を飽きずに眺めてしまう。

 



小出に到着。以前に奥只見湖を車で訪れた時に泊まった、駅すぐ近くのホテルに向かう。明日は始発5:30の電車に乗るので、この近さはありがたい。そのホテルから駅前を見下ろす。


夕食には、前回に生きそびれた、駅前の蕎麦屋に行くことにする。


特筆するような特徴やうまさがあるわけではないのだけど、味のバランスが取れていて、どこにも過不足なく、すごく安心して食べられる。薄味の、日本海方面でよく味わう、あの感じのつゆも、さまざまな要素のバランスが良い。
食べてみれば「あの地方で食べたあれと似てるな」「この地方ではよくこんな後味が有るよな」という味覚で、判別はできるのだけど、食材に詳しくないので、その「あれ」「これ」でしかない感覚に「名前」をつけて分類することができない。それがちょっと歯痒い。
とはいっても本来曖昧である感覚に「名前」をつけることも良し悪しとは思う。受けた感覚を脊髄反射的に分類整理しただけで、安心して自己満足してしまい、手段が目的化してしまいがちだし。

いま地図を見返していたところ、駅から歩いて25分くらいのところに、見晴らしの湯「こまみ」という温泉があったようで、行きそびれて惜しいことをしたなあ。