ノリックが交通事故で帰らぬ人に

ノリックこと阿部典史選手が交通事故で亡くなってしまったというのには本当にびっくりしてしまった。いまでも全然現実感が無い。
ニュースを見たのが、朝起きたばかりの時だったので、最初は夢の続きかと思ってしまった。

・ノリックが、まさかの事故死
・ノリック、事故死
・ノリックが交通事故で帰らぬ人に
・Norick Abe dies in road accident.
・wikipedia日本版

ノリックのことを始めて知ったのは、80年代の後半だった。モトチャンプ誌(小排気量車の専門誌)で、青木三兄弟とともに、次世代のホープとして、よく誌面に登場していた。
その頃やってたとんねるずの番組の「仮面ノリダー」というコーナーのもじりで「ノリダー」と誌面では呼ばれていた記憶がある。当時ノリックは中学生だったのかな?
タイミング的には、当時小学生の加藤大治郎(故人)や中野真矢も、ポケバイレースの記事で載っていたのだろうけど、残念ながら記憶に無い。ちょうど当時10歳の中野選手が全日本ポケットバイク選手権で優勝した時期のはずなんだけど。

僕は当時はレースにはほとんど興味が無かったし、90年代前半は(今思うと自分でも不思議だが)バイク自体にも興味を失っていた。
しかしそれでも、阿部選手が全日本の2st500ccクラス(当時国内最高峰)に、史上最年少の18歳で、しかもデビューイヤーにチャンプを取った(1993年)ときには、さすがにモータースポーツ後進国の日本でもTVニュースで流れたので「あのノリダーか!高校に行かず、アメリカに武者修行に行ったって聞いてたけど、いきなり派手に出世したなあ!」と、すっかり驚いてしまった。
ノリック」という呼称に慣れるまで、けっこう時間がかかった記憶がある。

僕がWGPを見るようになったきっかけは、バイク用品店でたまたま流れていた、原田哲也vs加藤大治郎のビデオを見て、なんとカッコいいんだとすっかり魅せられてしまったからだった。それが2002年。
なのでノリックが活躍した時期は、ちょうどレースにあまり興味が無かった時期だった。そんな僕でもノリック優勝や表彰台などの知らせを聞けば、心ときめいたものだった。
いまにして思えば、その時代にWGPを見ていなかったというのは、ものすごく残念なことだ。

いままで何度も書いたのだけど、ノリックMotoGPの解説者として出ているとき、生放送で視聴者と同じ映像とLiveTimingを見てるはずなのに、よくもまあそこまで細かく見られるもんだな、とトップライダーの眼力に、何度も感心したものだった。一瞬の画面から読み取る情報量が、我々凡人の数倍なんだろうなあ。
今回の事故は、走行車線から追い越し車線をまたいでUターン禁止区間でUターンしたトラックに突っ込んだとのことで、あのノリックの眼力でも防げなかったんだなと悲しくなってしまった。
しかも初ツーリングの帰り、帰宅途中だったそうだし…。僕も気をつけよう。

ちょうど同じ時期に、僕の親族が肺がんになったことを知らされたので、それも重なってなんだか急に死を意識するようになってしまった。
加藤大治郎選手のときとは違い、交通事故なので、ほんとうにいまでもなんか実感がわかない。今週末のオーストラリアGPで追悼されるだろうから、それをみてやっと実感できるような気がする。