4分間のピアニスト(バレほぼ無し)
あらすじだけを知った状態で、以前に観た劇場アニメ版の「ピアノの森」と同様、音楽の才能というものを、映画という媒体でどう描くのだろうかと、意地悪な興味を持って観た映画。
- アーティスト: アネッテ・フォックス
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2007/10/31
- メディア: CD
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このあたり、「ピアノの森」と同様、音楽は数値で「才能」が測れる訳でもないので、どうしても観客はまず「ジェニーには才能があるという設定」だと、納得するしかない。しかし観客である僕はその設定を「納得」することにほとんど違和感を感じなかった。ジェニーが各々のシチュエーションで演奏している音楽が、各々のシチュエーションで演奏すべき音楽、演出意図に合致している音楽であると思えるのだ。このあたり「ピアノの森」では不満な点(特にカイと雨宮の出会いシーン)であった。
ジェニーがこれまで封印させられてきた、自分の音楽を思い切り自由に解放した、ラスト4分間はなかなか見ごたえ、聴きごたえがある。この演奏なら、パンフレットに書いてある「これが、私の音、私の叫び、私の魂。」との(ちょっと恥ずかしい)コピーも納得できる。違和感ない。
なんといっても違和感が大きいのは、教師と主人公との間でほとんど世界が閉じていて、世間一般のジェニーへの反応が、好意にしろ悪意にしろ、殆ど描かれないことだ。ちょっとだけ登場する新聞記事によると、世間はジェニーに比較的好意的なようだし、コンテストに出場しても全くブーイングなどはない。ほかの出場者と扱いが変わらない。
世間一般的には、パフォーマンスとパーソナリティはほぼ同一視されて語られるもんだから、それなりのバッシングを受けているもんだろうに。
囚人であるジェニーを、更生プログラム(?映画内ではほとんど語られなかったような?)の一環として、精神分析医がコンテストに出場させているわけなんだが、このあたりの思惑、各陣営の対立も描き込み不足だ。つまりジェニーが特例扱いされる理由をもっと観客が納得できるようにしてほしかった。