High Land, Hard Rain / Aztec Camera

持っている音楽をシャッフル再生していて、アズテック・カメラの"Haywire"が耳に留まった。ロディ・フレイム19歳のときのファーストアルバム、"High Land, Hard Rain"の中の一曲だ。もう17年前くらいから聴き始めていて、まあ普通に好きなアルバムだった。このアルバムについてよく言われるところの「青春」とか「透明感」とか「清清しい」とか、まあ確かにそんな音楽だよね、と思っていた。

High Land, Hard Rain

High Land, Hard Rain

しかし、このとき驚くほど、この音楽から「余裕」が聴こえてこなくて、すっかり驚いてしまった。アルバム単位で聴きなおしてみる。この切迫感はちょっとそうはない。いったいなんなんだこの余裕の無さは、なんでいままで気づかなかったんだ、と、まず反射的に感じた。イビツな形の表現衝動を、音楽の中に無理やり押し込んでいるような余裕の無さだ。なんかどこかがイビツなんだ。いかにも80年代的な和音の扱いからもそんなイビツな感じを受けるのだけど、そういう譜面的に説明できる部分以前のところ、例えば単純に声を張り上げて伸ばすときの声からして、イビツで余裕が無い感じ。

こちらで試聴が出来ます

以前に感じていたような、綺麗で清清しい「青春」という印象は、もうすっかり感じなくなってしまった。その余裕の無さを、以前とは別の観点から見た「青春」とは、まあ確かに感じはするのだけど。自分にとって特殊で特別な一枚に、突然になってしまった。