浸透

さっき車のなかでエリオット・スミスを聴いていて、ああやっぱいいなあ、もしこの音楽を聴くことが独裁者により禁止されでもしたら、身を引き裂かれるように辛いよな、とふと思って、あっと気がついた。もうすっかりこの音楽は僕の身体に浸透してしまっている。なので禁止されたら身を引き裂かれるように辛い。浸透と言えば、以前"OK Computer"について「自分への浸透力がとにかくすごい」と書いた。そういえば"OK Computer"も、もし禁止されでもしたら身を引き裂かれるように辛い。じゃあ自分の好んでいる音楽の中で、自分に浸透している/いない、で分けてみたところ、見事なまでに浸透しているのは、男性でちょっと情けない声のボーカル曲が多い。あれひょっとして、聴く音楽に自分の似姿を投影でもしていたのかな、そういうの顔が赤くなるくらい恥ずかしいと思っていたのだが、、、などと考えたりもした。
もちろん浸透していない、むしろ隔絶しているといって良いものでも、超好んでいるものはいくらでもある。そういう超好んでいるもの、禁止でもされたら、そりゃ悔しいし悲しいけど、身を引き裂かれるように辛くはない。
そして音楽以外の分野で、なんか自分に浸透しているものってないものかなと考えてみると、例えば金子光晴のニッパ椰子の唄だったり、中平卓馬の筍の写真だったり、すぐ思いついたのだが、意外に、あんまりないものだ。