「この歌いいよね」

aikoは好きでもないし嫌いでもない。ふーん感じいいね、とは思うのだけど、積極的にイイ!と思うようなことはなかった。とはいってもラジオから流れてくる邦楽の8割は、なんかイヤだなあと印象を持ってしまう僕からすると、これはけっこう珍しいことである。
それで図書館から3枚ほど借りてきてまとめて聴いていたところ気づいたのだけど、これって「この歌いいよね」という表現を使う人のニーズにぴったりな音楽なんだなと思い至った。「この曲」ではなく「この歌」という表現ね。
aikoの音楽はすべてが歌のために奉仕されている。主旋律、伴奏、とパックリ二分されている。伴奏は主旋律(歌)に、奉仕しかしていない。歌が主役の座を楽器に明け渡すことがほとんど無い。
主旋律と伴奏がお互いに無関係なら、これはひどい出来だ、と感じるのだが、そういうわけではない。伴奏は主旋律に奉仕している。しかも非常に献身的だし誠実な奉仕である。その誠実さに僕は、ふーん感じいいね、と思うのである。
しかし僕の主観的な好みで言うと、そういう音楽を積極的に好むってことは無い。主旋律とその他が互いに対等に戦ったり寄り添ったり依存しあったりしていなければ、いまいちピンとこない。
音楽を聴き始めた小学生のころからそうだった。まわりの皆が「この歌いいね」と言っているのは、音楽の中の「歌部分」のことではなく、まわりの皆的には「曲全体」を指していることを知ったときの衝撃は、かなり大きかった。
その感覚で音楽を聴くならば、aikoの音楽はものすごく聞きやすく、耳にすーっと入ってくるんだろう。歌以外が歌を、攻撃したり寄り添ったり依存しあったり、そういう余計なことをしないから。